フォルテピアノとの出会い

フォルテピアノとの出会い

フォルテピアノとの出会い

子供の頃から亡き母にいつも言われていたこと、「目の前に来たチャンスは必ずつかみなさい!考えていても始まらない。やってみなくては!結果は後からついてくるのよ」この言葉は、私が何かを迷った時、いつも背中を押してくれるものでした。

フォルテピアノとの出会いも、私の目の前にやってきた、1つのチャンスでした。大学4年の時に受講した「古楽実習」という授業。廊下の一番奥で、何だかヒミツの小部屋のような古楽器の部屋で行われていたその授業は、フラウト・トラヴェルソ奏者(フルートの古楽器)で指揮者の有田正広先生が講義をされていました。
その授業で「次週、ハイドンのソナタやりましょう。演奏してくれる人?」の言葉に手を上げてみた私。どうやらこの怪しい部屋にある、ちっちゃなピアノで弾かなくてはいけないらしい。来週本番もあって忙しいけど、まあハイドンだし。弾けるよね。という簡単な気持ちで望んでしまったのが間違いだったとは、次週に分かったわけです。

弾いたこともない華奢なピアノに、どう対応していいのか、でも何か音楽をしなくてはという葛藤。そこに先生からの色々な要求が出てくる。じれったい私に我慢がならなかったのか、ついに有田先生ご本人が、「ちょっとどいて。ぼくが弾く」とピアノの前に座られました。がばっと曲を掴んでしまったかのように、曲がくっきりとはっきりと輪郭を現し、ハイドンの音楽が生きたものとして、私の前で繰り広げられた時は、開いた口が塞がりませんでした。
頭が朦朧としている私に、授業後、有田先生は学生ホールでお茶を飲みながら一言おっしゃいました。「実はね、家にショパン時代のピアノがあるんだよ。良かったら弾きに来て見る? あーでもやっぱり来ない方がいいかなあ」と。来ない方がいいなんて言われたら、余計行きたくなるのが自然の摂理。有田先生の巧妙な誘い術にまんまとひっかかった私は「なんだろう、ショパン時代のピアノってなんだろう?????どんな音がするのだろう????」
その日の夜はコンサートを聴きに行く予定でした。コンサート中も私の頭の中は、ショパンのピアノのことで一杯。ちっとも演奏なんて聴いていられず、途中で抜け出して有田先生のご自宅に電話をしたところ、早速、次の日伺うことに。

ご自宅に伺った時に、目の前に広がっていたのは、沢山の歴史ある鍵盤楽器たちでした。その中でも「Pleyel プレイエル」と書かれたピアノこそが、先生のおっしゃっていたショパン時代のピアノでした。深い茶色で光沢があり、足はしなやかな丸みを帯びています。譜面台は蝋燭が両脇に置けるようになっていて、なんて美しい外観! 世の中にこんなピアノがあるのかと恐る恐る音を出した瞬間、じわ~と心臓に染み入ってくるものが。言葉にしたら、その時に感じたことが違ったものになってしまいそうなので、あまり表現できないのですが、私はその瞬間に、これからはこんなピアノを弾いて行くのだと決断したわけです。

そんな衝撃の出会いから、その当時一人暮らしをしていた小さなマンションにボーと帰り着きました。自分の部屋にある黒いピアノをそれから何日も開けることができなかったのを覚えています。今まで自分は何を勉強していたのだろう。十数年ピアノの勉強を真剣にやってきたつもりだった私を、根底から覆されたような1日でした。
これからどうしようという思いに、母の言っていた「チャンスをつかみなさい」という言葉が何度も頭の中で繰り返されました。そう、やりたいと思ったらやってみればいい。これはチャンスだ! やると決めたら行動の早い私は、実家の両親の説得にとりかかります。手紙攻撃をしてみたり、何度も電話で話したり。直接話して分かってもらおうと話し合った時も、「真弓がこんなに言っているのだから」と父を説得してくれたのは、やはり母でした。母の一言に動いてくれた父は、今でも「真弓が泣いて頼んだ」と苦笑しています。

私が授業で弾いた小さくて華奢で音域は5オクターヴしかないピアノも、有田先生のお宅で出会ってしまったプレイエルという名のピアノも、私達は現在のピアノと区別をするために「フォルテピアノ」と呼んでいます。

私はフォルテピアノを弾いて行くと決意しましたが、どうも一筋縄には行かないことに気がつきます。フォルテピアノに至るまでにも、さらに歴史は深いものがあるのです。そこも知らなければ、きっとフォルテピアノを本当の意味で弾くことはできないだろう。恩師、有田先生のアドヴァイスもあり、ピアノの前身であるチェンバロも勉強してみようと決意しました。「歴史を一度、すごく古い時代まで、タイムトリップし、そこから遡って現代まで戻ってくればいい」そのような考えからの決断です。現代に生きる私達は、どうしても現代という位置から昔を見てしまいます。そうすると、昔のものはダメだったという価値観が生まれて来ます。古いピアノ達を目の前にすると「果たしてその考えは本当か?」という疑問が湧いてきました。チェンバロを勉強し、バロック時代の音楽や歴史、当時のマナーなどを勉強して行くと、様々な美意識が存在したこと、音楽の先輩たちは命がけで音楽と向き合っていたのだということを、強く感じられました。

バロック時代の音楽の特徴やスタイルを勉強した後、クラシック時代のモーツァルトやベートーヴェンを弾いて見ると、彼らの音楽が、今まで感じていたよりも、もっと新しい響きがすることが分かりました。すると同じ音を弾くにしても、そこから感じ取れる感動が倍増します。そして、楽譜からよりくっきりと音型の意味すること、そこに込められた作曲家の表現したかったことが楽譜からまるで浮き上がってくるように、見えてくるようになりました。

当時の楽器で弾いてみて、楽譜に書いてあることと、実際に音になって生まれてくるものの間の「隔たり」が取っ払われたような気持ちになりました。もちろん、すべてを分かるようになったわけではなく、何よりも私は「知らないことが多い」ということを知ることが出来ました。これは音楽に対する敬意にもつながり、今の私の音楽家として、真髄を求めていく姿勢の糧になっています。

日本でのチェンバロ、フォルテピアノの勉強から引き続き、オランダ、アムステルダム音楽院フォルテピアノ科で勉強をさせてもらい、貴重な楽器との出会いもたくさんありました。自分の手で触れ、感じることは何事にも変えられなく、私の身体に吸収されて、呼吸をしているのです。きっとそれは、私の音楽となって、還元されていると信じています。これからも感謝の気持ちを忘れずに、チャンスを生かして、励んでいくのみです。

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